山陰紀行その3

2008年8月13日(水)はれ

本日は、山陰紀行の3日目報告。

山陰紀行の3日目は、2班に別れての行動となりました。

1班は、松江城下町をめぐることに。

われわれは車で米子方面を目指すことになりました。

メンバーは、工藤さん、多田さん、拝原さん、門井さん、

そして私の5名。

南北朝期好きの工藤さんのたってのご希望によって、

赤松氏の故地へ。

まずは、中世海上交通の要衝であった美保関に赴きました。

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美保関は日本海航路の重要な中継ポイントでありますが、

初めて訪れました。

この地の鎮守でもある美保神社。

祭神の三穂津姫命(みほつひめのみこと)は、

大国主命(おおくにぬしのみこと)の后であったと伝えられています。

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海の神であることが肌身にしみてきます。

驚いたのは、日本海航路を諸国の船が往来した近世の

繁栄ぶりが今なお、その面影を残していることです。

石畳の通りに立ち並ぶ旧家はいずれもが、

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屋号をしっかりと今に伝え、たとえば紀伊国の商船は

ここが定宿、若狭の商船は……と、その記憶が

はっきりと刻まれているのです。

美保神社に参詣したのち、

近所にある浄土宗仏谷寺(ぶっこくじ)まで足をのばしました。

とくに今回の研究旅行において、予定に入れていたわけではないのですが

美保神社参詣の帰途、ふと看板をみかけ、

皆さん合意のうえ、こちらも参拝することにしました。

ここは後醍醐天皇の行在所であったとの伝承をもつ寺院。

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中には八百屋お七の恋人、吉三の墓が。

また、重要文化財の薬師如来像などが安置されており、

拝観できるということで、早速お願いしました。

ご住職はおられなかったようで、娘さん(だと思います)が

大日堂(宝物殿でしょうか)を開扉してくださいました。

さっそく、堂内にあがらせていただき、

これまた驚きました。明らかに平安時代の仏像です。

しかも奈良の彫像と同じ系統に属しながら、

出雲独自の様式もあわせもっており、

その迫力たるやすごいものでした。

こんな素晴らしい仏様を拝観できるとは、

こういったうれしいアクシデントがあるので、

どうしても自由行動の日ははずせません。

御礼を申し上げて、仏谷寺をあとにし、

門前の醤油屋さんで、修士の拝原さんのたっての希望により

「醤油アイス」!?なるものを皆でいただきました。

みたらしのような、カラメルのような……なんとも不思議な味。

でも基本的には非常においしかったです。

お店のおかみさんもとてもよい方で、

いろいろお話を聴くことができました。

お店の前に、お堂のようなものがあったので、

「地蔵堂かな?」などと思い、「これは何のお堂ですか?」

とお聞きすると、「神輿が入ってます」とのお答え。

おかみさんのお話によれば、このあたりの地区は、

「小路(こうじ)」と呼ばれ、各小路ごとに

一台ずつ神輿が保管されているそうです。

美保神社へ練り歩くのかと思いお聞きすると、

これは基本的に小路ごとで祭りは完結するそうです。

また、「なおらい(直会・納礼)」も今もって行われているとのことで、

歴史的なものが今に至るまであるんだということに

感動いたしました。

帰りに、石畳を歩いていると、

この地区の歴史館のようなものが。

広く一般に開放されており、美保関の歴史が

過去から現在に至るまで、

地域の方々の眼差しで紹介されております。

一見の価値ありです。

昨今、博物館がさまざまな側面で存亡の危機にありますが、

こうした民間の小さくても深い内容をもつ施設が

設立され、守られていることに、

日本における博物館のひとつの可能性があるようにも思いました。

思いのほか興味深いことに沢山出会ったので、

昼頃まで時間を過ごしてしまいました。

そこから、米子を目指して車で出発。

途中、マクドナルドで昼食をとりました。

「これ!」という食事に出会えそうもない場合には、

マクドナルドに限ります。

全国どこに行っても、味が変わりませんので。

とはいえ、ついつい、冒険心が湧き出て、

危険そうなものに挑戦して、失敗することが多いのです。

学習できていないですね。

やがて、鳥取県の名和へ。

ここは工藤ワールドです。

後醍醐の蜂起を応援した最大の立役者である

土豪名和氏の本拠地です。

名和氏に関しては謎が多いのですが、少しでも

その雰囲気を感じることができればと思いつつ、

まずは名和神社へ。

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この神社は、後世になってから建てられたものですが、

神社の入り口左右に、石灯籠が。

そこには「慶応四戊辰年二月廿三日」の日付が刻印され、

西園寺公望の名が。

戊辰戦争の年。

王政復古をかけたこの戦いに、

公家方は後醍醐の倒幕の姿を重ね合わせたのでしょうか。

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歴史の記憶はしばしば、さまざまな解釈でもって

蘇り、現実世界に多大な影響を与えていくのですね。

そこから「三人五輪」と呼ばれる名和長年とその息子たちを

祀った一石五輪塔のある場所へ。

一度は見落としてしまい、農道へ迷いこんでしまいました……

わたしが運転すると、往々にしてこういうことになります。

いつも一緒に行っておられる皆さんは

よくご存知だと思いますが、ご迷惑をおかけしますね。

一周して、ようやく「三人五輪」へ到着。

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ちょうどDsc03553 、少年自然の家の野外活動のようなことが行われており、

小学生たちが炎天のなか、フィールドワークを。

なんとなく微笑ましく眺めました。

そして、いよいよ一石五輪の前に。

かなり大きな五輪塔です。潮風にあたるせいか、

銘文は判読不能ですが、一日前まで出雲を

あれだけまわってほとんど見なかった一石五輪が

ここにきて大変立派なものが聳え立っているのです。

心が揺さぶられました。

しばらく、名和氏の亡魂に思いを馳せ、

再び車に乗り、赤松氏の館跡と伝承される地に、

さらに名和氏一党の菩提所である長綱寺(ちょうこうじ)へ。

名和一族の墓があるということで、

裏山に登りました。

そこで目にしたものは、おびただしい一石五輪の石造物群でした。

すさまじささえ感じずにおれませんでした。

さっと見ただけですが、おそらくほとんどの一石五輪は

三人五輪と同様で、風化して銘文は判読不可能であったと思います。

旅をしていて、石造物を見れないととても残念な気持ちになるのですが、

その前の2日分の石造物への期待を上回る

迫力の様相でした。

気がつけば午後3時を過ぎています。

米子の駅まで、ひたすら車で駆けました。

昨今の燃料高ですので、できるだけ安いスタンドをと

探しましたがなかなか見つかりません。

もう、時間もないし、米子の駅も目前なので、ということで

価格表示もないお店に入りました。

有人だし、かなり高いだろうと思いましたら、

意外や意外、道すがら見てきたどの店よりも安かったのです。

最後の最後に、ささやかな勝利をえたように思いました。

米子駅で、「やくも」に乗り、

松江から来た山本さん、松金さん、吉田さん、橋本さんの

4方と合流。

京都への帰路に着きました。

今回の旅、ありあまるほどの発見をいただきました。

コーディネーターの山本さん、工藤さん、

さまざまなお世話をしてくださった松金さんに感謝です。

さて、現実世界に戻りまして、後期授業の準備、

論文の〆切……さまざまあります。

でも、今回の旅行で相当リフレッシュしましたので、

頑張れると思います(たぶん)

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山陰紀行その2

2008年8月13日(水)

さて、山陰紀行の2日目のご報告。

朝、T旅館で朝食ののち、

山本さん、工藤さんと3人で

タクシーに乗って出雲市駅近くのレンタカー屋さんに。

2日目は2台で行動することになってましたので。

レンタカーの営業所に行くと、

かわいいフェレットが飼われていました。

営業所では大変丁寧なご説明をいただきましたが、

なにぶん時間のこともあり、少しソワソワしました。

工藤さんの車に同乗し、神領膝下の北島郷・千家郷などの

現地景観を少し見学しながら旅館へ。

待っていた大学院の諸氏と合流し、いざ出発。

この日は神領に含まれる浦々を工藤コーディネーターに

案内いただきながら、めぐることになりました。

いくつかの故地をめぐったあと、日御碕(ひのみさき)神社へ。

ご用意いただいた資料をみると、

日御碕神社は、独立性があり、杵築大社(出雲大社)と

常に相論を行っていたとのこと。

武家・公家を巻き込んで、長きにわたって衝突していたという神社です。

現地に到着すると、想像以上に立派な社殿が立ち並んでいました。

実際にみてみると、なるほど、と思わざるを得ません。

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これだけの威勢のある神社が、唯々諾々と

杵築支配下に入ることはないと確信しました。

海のすぐ側にある社は、山側と、海側双方に

大鳥居が聳え立っています。

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朱塗りの社殿は威風堂々たるもので、杵築とはまた異なった趣きがあります。

杵築との相論に関して、工藤さんの話によれば、

一神子(いちのみこ)が相論を担当したことがあるそうです。

おそらくこの一神子は、訴訟のプロフェッショナルだったのでしょう。

勢力的な側面からすれば、明らかに杵築の方が大規模です。

しかし、それに抗する姿に、在地の相論と、神々の相論といった

聖俗両面の戦いがあったことを想像させます。

しばし、感慨にふけった後、門前の食事処で食事。

このお店もまた印象深いお店でした。

修士のK君が肉うどんを注文したところ、

本日は肉うどんはできないとの解答。仕方なく素うどんを頼みました。

やがて注文した料理がそれぞれやってきましたが、

ウェイトレスさんの「肉うどんはどちらですか?」との言葉に

一同「?」。だってさっき肉うどんはないっていったじゃないですか。

ということで、どこか別の席の注文の品だろうと思い、

「こっちじゃありません」と言うと、

他のテーブルを一巡りしたあと、再びわれわれの席に戻ってきて

「そういえば、さっき肉があったから作ってあげた」とのお言葉

一同絶句です。

この状況からすると、サービスかとも思いましたが

最悪のシナリオを考えながら食事を。

まあ、お土産屋さん一般の味でしたが、

お勘定のとき予想通り「肉うどんだから、50円アップね~」と

笑顔できっちり請求されました。

やっぱりそうなるんですね……

しかも、肉うどんの肉は、鶏の胸肉らしきもの3切れ。

わたしはカレーにしてよかったけど、K君が少し可哀想でした。

まあ、こういうのも思い出ということで!

気を取り直して、浦々をめぐることに。

鷺浦(杵築神領)の伊奈西波岐神社に石碑がありました。

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どうやら、境界を示すボウジのようなものらしく、

タガネかなにかで人工的に断ち割られてました。

右側には、おそらく「鵜峠浦分」の文字が刻まれているようです。

左側には「従是西社領鷺浦分」と書かれた部分が判読できました。

モノ自体は近世以降のものかもしれませんが

境界を示すものがこうして今も保存されていることに

歴史を感じました。

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その後、浦々を通り抜けて、鰐淵寺(がくえんじ)へ。

この寺院は山岳修験の寺院であり、また、杵築の祭礼に

重要な役割を担っている寺院です。

坊院跡などが少なからず残っており、

過去の様相を彷彿とさせます。

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ここにきて気づいたことですが、出雲のわれわれがめぐった地に

中世石造物が非常に少ないということでした。

いわゆる一石五輪などがほとんど目につかないのです。

見落としているだけかもしれませんが、

通常、すぐに目につくものです。

これもまた、国津神の神話に彩られた国だからでしょうか?

そののち、2日目朝から合流した地元出身の大谷さんに

ご案内いただき、薬師信仰で有名な一畑寺へ。

大谷さんのコーディネートで、ご住職にお会いし

出会いのひと時をいただきました。

一畑寺をあとに、松江市内へ。

夜の宿泊は、松の湯旅館でした。

前日とはうってかわって立派な旅館。

世に有名な玉造温泉の泉質は非常に良好。

2日間のハードな調査旅行の疲れが一挙に癒されました。

こうみえて、温泉の泉質にはうるさい方です。

今までで一番疲れも取れて、じ~んとしみわたったのは、

熊野の湯峯温泉でした。

なかなかそれを越える温泉には出会えませんが、

玉造温泉も非常に良かったです。

食事も大満足。

夜の宴会が終った後、布団にもぐりこみましたら、

気絶するかのように熟睡。

深い闇のなかへ急降下するように眠りに落ちました。

次回は、3日目のご報告を。

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山陰紀行

8/12(火)はれ

先週、山陰に研究旅行に行って以来、

更新が遅れていました。

盆にはいったというのに、この忙しさ……

まあ、暇をもてあそぶよりも、忙しい方がいいのですが。

さて、山陰旅行。驚きと発見の連続!

畿内近国、南海諸国、東国、西国とはまた異質な世界が

展開していました。

歴史のことだけではなく、宿や食事したところなども

非常に個性的で、決して忘れない旅になりました。

しばらく、この山陰紀行を自分の備忘も兼ねて

ブログにアップしていきたいと思います。

ということで、今回は、1日目のこと。

8月3日(日)、新大阪から新幹線に乗り、岡山まで。

岡山から特急「やくも」に乗って一路島根を目指しました。

途中、高梁川(たかはしがわ)を左手に眺めながら、

東寺領荘園として、その名を歴史に残す、

かの有名な備中国新見荘を通りぬけました。

おそらく高梁川と共に、荘園の歴史が展開してきたのだろう、と

感慨深く眺めました。

2時間半ほど「やくも」に揺られて、松江に到着しました。

ちなみに「やくも」はかなり揺れます。

わたしの出身地和歌山の「くろしお」も相当揺れるので

「ふり子電車」の異名がありますが、それに勝るとも劣らない揺れっぷりでした。

松江駅の蕎麦屋さんで食事。

トイレに行こうと思うと、コーディネーターの山本琢さんから

「すぐにバスに乗らないと、間に合わない」と言われ、

仕方なく我慢することにしました。

さらに、玉造温泉駅から電車に乗って、出雲大社まで行くのですが、

そこでも乗り継ぎ時間がなく、かなり厳しい状況のなか、

電車に揺られつづけました。

ようやく出雲大社に到着。平成の大遷宮とあって、

その混雑たるやすごいものでした。

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当初、本殿拝観を行う予定でしたが、すでに

整理券はなく、大社参拝のみとなりました。

堂々たる風格のある森と社殿。

荘厳な雰囲気のある境域が広がっています。

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今回、もう一人のコーディネーターの

工藤克洋さんたちが鎌倉時代の神領図をもとに

さまざまな資料を作成して下さっていたのですが、

海がま近にあり、砂地であることが参道を歩いていると分かります。

本殿参拝、宝物殿拝観ののち、大社周辺を歩くことになりました。

まず、古代より累々と続く、国造北島家に。

国造館と呼ばれる屋敷地は、堂々たるもので、

これが国造なのか……と絶句しました。

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現在は、出雲大社とはまた別に教団を設立しておられるとのこと。

複雑な歴史のなかで、しかし今なお存続していることに

驚きを禁じえませんでした。

さらに、北島家から少し東方の、

「真名井」という水の湧き出る場所へ。

ここも神事が行われる重要な地であるということで、

勿論、神領図にも描かれています。

神領図と現在の景観があまりにも似ており、衝撃を受けました。

とくに、井の後方に聳え立つ神木があるのですが、

これが、鎌倉時代の神領図に描かれたものと

そっくりなのです。

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工藤さんも大興奮!

近くで、農作業をされていた男性に、お聞きしてみたところ、

椋の木だそうで、その来歴などは分からないそうです。

ただ、古いということは間違いないらしく。

これが鎌倉のそのままだったらすごいのに、と夢を膨らませました。

そののち、再び大社を通り抜けて、神楽殿へ。

さらに、もう一方の国造家千家の館を外から眺めました。

そこから、近くにある島根県立古代出雲歴史博物館へ。

最近、完成したそうなのですが、

非常に綺麗で、また館員の皆さまの対応も丁寧。

さらに、展示にもさまざまな工夫がなされていて、

今やどこにでもある、映像を使ったテーマ別の解説なども、

驚くほど分かりやすい。こんなに、楽しく見れて、理解も深まる

映像は初めてみたかもしれません。

お奨めの映像は、『出雲国風土記』の編纂についての映像と、

「歌垣」についての映像です!

笑いと、うなずきと、驚きと、三拍子揃っています。

出雲へ行かれたときには是非どうぞ。

このあたりで、すでに夕刻。

出雲大社駅付近の旅館に宿泊しました。

なかなかレトロな雰囲気の旅館で、普段は宿泊客も少ないのでしょうか

久しぶりにお掃除をして開けたという感じでした。

夕食は、メインが鳥のから揚げ1切と、豚の角煮が2切、

茶碗蒸しには春雨が……

春雨がなければとても美味しかったのですが。

お風呂場には、洗面器と、風呂場用のイスが3セットありました。

でもシャワーは1つ。湯船も、まあ1人がいいところ。

なぜそこに3セットあるのか?謎は深まるばかり。

1番風呂をいただきましたが、シャワーがまた温度調節困難……

熱くなったかと思うと、冷たくなり、冷たくなったかと思うと、ヤケドするくらい熱くなる。

この繰り返し。

とりあえず、ぬるければケガはしないということで、汗を流すことを主眼に

水を大量に出しながらなんとか1日の汗を洗い流し、サッパリ。

どうやら、私以外の男性陣もみんなこのシャワーと

格闘していたようです。

夜はいつも研究旅行で恒例となっている懇親のひと時。

みんなでわいわいがやがや言いながら、

楽しいひとときを送りました。

夜12時くらいになって、電話が。

不吉な感じがしましたが、修士課程1回生の門井君がとってくれました。

案の定、「静かにしなさい」とのご注意。

すみません……。

そののち、疲れもあってあっという間に就寝でした。

うーん。なんともディープな旅です。

次回は2日目の様子を。

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楽しい一日

8月2日(土)

昨日、わたしの著書の合評会と、お祝い会を

同級生の安藤弥さんが呼びかけてくださり

開催していただきました。

珍しく緊張いたしました。

大桑斉先生、大山喬平先生の2先生もお越しくださり

未熟な私の研究を評価する会をいただいたことは

ほんとうにありがたい、かけがえのないひと時でした!

安藤さんと後輩の皆さんから様々意見をいただきました。

大山先生いわく、大事なことを考えるのはいいけれど

ズバズバと言い過ぎないように、とのこと。

たしかにその通りですね。

「こうだ!」と思ったら、強引にでも押さえ込もうとするのが

わたしの悪い癖……

しかしなかなかそれは直りませんね。

すこし反省しつつ、今回いただいたご意見を参考に

新しい研究スタイルを構築しつづけていきたいものです。

ご参加くださった皆さま、ほんとうにありがとうございました。

明日から、島根に研究旅行に行きます。

出雲大社膝下神領を歩いてまいります。

また、ご報告を。

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資本と人間

7/31(木)晴

今日は所用で1日中大阪に……

ふと資本主義というものについて考えました。

資本主義というのは「主義=ism」と呼ばれますが

これはよくよく考えなくてはならない問題です。

マルクス主義歴史学が行き詰ったとよく言われるのですが、

それは果たして妥当であるのかどうか?

疑問が湧いてきました。

かりに、マルクスの見通しが間違っていたとしても、

現代の資本が、自覚するとせざるとに関わらず

わたしたちに与えている影響は大変に大きなものがあります。

たまたま、新大阪の駅で経済関係の本を手に取ったのですが、

近年流行っているFXトレード。

一見、お金を儲ける手段のように見えますが、

いつの間にか、お金に操られているのではないかと思えるような

側面さえ垣間見え、背筋が凍る思いになりました。

資本主義はたしかに様々な繁栄を多くの人びとにもたらしましたが、

いっぽうで、負の結果も沢山でております。

とくに、経済のグローバル化状況のなかで、

その影響は、あたかもプレートを伝わって、何百キロも離れた地に

災害をもたらす地震のように、一挙に人びとの生活に打撃を与えます。

新聞紙上にしばしば登場するサブプライム問題が

その一例ですが、「お金」という価値交換の媒体に投資するうちに、

気がつけば逆に「お金」に支配されてしまう……

残念だけれども、そのようなことが現前としてあり、

世界の多くの人びとに、生活不安をもたらしています。

これは歴史学においても十分に考えなければならない

重大問題ではないかと思いました。

うまく書けませんが、なんだか、とても重要な問題にわたしたちが

直面していることを感じるのです。

「お金」とは、そもそも、異なる共同体間での交換の手段であったはずです。

ところがいつの間にか、私たち人間が気づかないうちに、

主導権が人からその「お金」そのものに移ってしまったのではないだろうか?

と思った次第です。

ちょっとまとまりがなくて、ややこしい話ですみません。

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シメ

7/30(水)晴

早いもので、もう7月も残すところ明日1日となりました。

昨日まで和歌山で、今日は京都です。

どうも少し風邪をひいた模様。

くしゃみが出てとまりません。

昼食ののち、前期試験の採点をはじめました。

バラエティに富んだ解答を採点し、1時間ほどかけて終了。

郵便局に行ったついでに、コンビニエンスストアで

『日経新聞』を購入。

カフェにはいってしばし目を通しました。

文化欄に「日本の美術文化発展に大きな役割を果たした」人物として

佐藤慶太郎さんという方の人生について載っておりました。

上野の美術館を建設するのに、全費用を寄附したという方。

昨今は、経済が不況になれば、

まず文化的な側面の費用が削られる傾向があります。

やるせない思いになるのですが、

芸術や文化・歴史に触れることのできる空間を大切に守っていくことが

どれほど大切なのか、あらためて考えさせられました。

それはそうと、ようやく前期授業のシメを迎えることができ

ほっといたしました。

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山科土塁清掃

7/27(日)

今日は朝から山科にある、国指定史跡山科本願寺・寺内町遺跡の

もっとも大きな部分である山科中央公園土塁の清掃に、

参加いたしました。

このところの猛暑を考えると、ちょっと心配もいたしましたが、

幸いなことに本日は少し暑さがやわらいだよう。

朝9:00から開始で、中村武生先生や、S田先生、前田事務局長をはじめ

たくさんのボランティアの皆さんと清掃を行いました。

すこし早起きして、清掃をするっていうのは

とても清清しいものでした。

終了後、外勘渋谷と三条との間にある、

船越珈琲店に初めて入りました。

本格的なコーヒーをいただきました。

ひっきりなしに多くのお客さんがこられるにも関わらず、

なにか落ち着いてゆっくりと時間を過ごせる雰囲気が

とても気に入りました。

これまで何年も気になっていたのですが

今日は初めて行けて、「もっと早く行っておけばよかった~」と

思いましたが、見方を変えれば、

今日そういういい店を知ることができた、ということでもあります。

体を動かしつつ、歴史を体験できるというのは

ほんとうにいいものです。

普段多くの学生さんにお会いしますが、

是非ぜひ、現場を歩くことの楽しさ、を感じてもらいたいと願っています。

「歩けば何かが分かる」のですから……

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日本史の会

7/26(土)

わたしの出身O谷大学の学内学会である

「日本史の会」の大会が開催されました。

この会は、いわゆる学内学会としてのスタイルではなく、

卒業して社会に出、専門職についている方や、全く歴史とは違う

職業についている方など、多くの諸先輩と、

現役の学生たちを中心とする若手、そういった

さまざまな年齢層が交流する場として

創られたのが始まりです。

本日は、4本ある報告のうち、後半の2本の司会を

させていただきました。

今回は、どの報告も聞き応え十分で大満足でした!

懇親会で、O桑H先生や、O山K平先生を初め、

お世話になった先生方と歓談。

O山先生といろいろな話をいたしましたが、

かなりつっこんだ質問なども無礼を承知でいたしました。

とても、有意義な議論のときをいただきました。

若い学生さんたちのなかには、O山先生のことを

十分ご存知でない方も多くおられるようですが、

これは勿体無いですよね。

ぜひぜひ、多くのかたがたに、「日本史の会」に

ご参加いただきたいと思います。

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前期終了!

7/24(木)晴 炎天猛暑

今日は出講先の大学の定期試験日。

みなさん暑い中きてくださり、

60分間をフルにつかって頑張ってくれました!

ほんとうにおつかれさまです。

試験終了後、研究室に赴き、

以前もお話した山本琢さんと

新しい史料の読解を試みました。

今日はさすがに寝ませんでした。

1回生のときに授業を担当した男の子が一人

就職が決まったとのこと。ほんとうにうれしいものです。

でも彼もすでに4回生。4回生の子たちと

沢山お話をしました。

卒論を前にしていろいろ大変でしょうが、

いつも来てくれるたびに、楽しいひとときを過ごさせていただいています。

よく話にきてくれる4回生の学生さん3名は

松竹の芸人さんみたいだなーといつも思います。

あとわずかな期間ですが、学生時代っていうのは

ほんとうにいいものです。

是非、勉強も遊びも、全力で頑張ってほしいなと思いました。

そののち、3時頃に、遅い昼ごはんを学内のカフェ(UCC)にて

Kさんにお付き合いいただきましてとりました。

帰りに、北大路の大垣書店に寄って本を購入。

本を買うときはどんな本であれ、なぜこんなにワクワクするのでしょうね?

本屋を出ると、大学から出てきた元教え子のHさんに遭遇。

京都市営地下鉄四条駅までご一緒しました。

Hさんの持っている史料を手に、

二人でひとしきり議論?

となりに立っていた壮年のビジネスマンが

不審そうな顔をしておられました。

暑さでダウンしそうですが、こうした一つひとつの出会いで

精神的に支えられているなと感じる今日この頃。

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蝉時雨

連日の猛暑。

外に少し出るだけでも、

じりじりと灼けつくような日差しです。

和歌山の実家では朝から晩まで蝉時雨。

というか、時雨どころではなく、嵐のごとくです。

なぜか今年の蝉たちはよく飛びます。

少し歩くと低空飛行で迫ってきますので、

ニアミスが続出。

あまり昆虫が得意でない私にとっては、

心臓に悪い状況です。

それにしてもこの暑さ。昨日も書きましたが、

数年前の名手荘調査を彷彿とさせます。

ひたすら石造物の調査にかかった数日間が懐かしい。

石造物といえば、

正長元年の徳政碑文は教科書に載るほど有名ですが、

なぜか、石などに刻印された文字というのは

強烈なインパクトを見るものに与えます。

古文書のそれとは全く異質の印象はなぜなのでしょうか?

おそらくその地にあって、永き時、風雨に耐えながら、

歴史の移り変わりを見てきた存在感ともいうべきものがあるのでしょう。

石造物と出会うときの、鼓動の高鳴りは

一度味わうと忘れられないです。

先日、新聞で、ある地区のお地蔵さまが盗まれ、

一応、無事に戻ったということで地域の方々が安堵されている

との記事を読みました。

文化財の大切さをもっと深く考えたいものです。

後期には出講先の大学で1回生に授業を行いますが、

このことは是非伝えたいと思っております。

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