山陰紀行その3
2008年8月13日(水)はれ
本日は、山陰紀行の3日目報告。
山陰紀行の3日目は、2班に別れての行動となりました。
1班は、松江城下町をめぐることに。
われわれは車で米子方面を目指すことになりました。
メンバーは、工藤さん、多田さん、拝原さん、門井さん、
そして私の5名。
南北朝期好きの工藤さんのたってのご希望によって、
赤松氏の故地へ。
まずは、中世海上交通の要衝であった美保関に赴きました。
美保関は日本海航路の重要な中継ポイントでありますが、
初めて訪れました。
この地の鎮守でもある美保神社。
祭神の三穂津姫命(みほつひめのみこと)は、
大国主命(おおくにぬしのみこと)の后であったと伝えられています。
海の神であることが肌身にしみてきます。
驚いたのは、日本海航路を諸国の船が往来した近世の
繁栄ぶりが今なお、その面影を残していることです。
石畳の通りに立ち並ぶ旧家はいずれもが、
屋号をしっかりと今に伝え、たとえば紀伊国の商船は
ここが定宿、若狭の商船は……と、その記憶が
はっきりと刻まれているのです。
美保神社に参詣したのち、
近所にある浄土宗仏谷寺(ぶっこくじ)まで足をのばしました。
とくに今回の研究旅行において、予定に入れていたわけではないのですが
美保神社参詣の帰途、ふと看板をみかけ、
皆さん合意のうえ、こちらも参拝することにしました。
ここは後醍醐天皇の行在所であったとの伝承をもつ寺院。
中には八百屋お七の恋人、吉三の墓が。
また、重要文化財の薬師如来像などが安置されており、
拝観できるということで、早速お願いしました。
ご住職はおられなかったようで、娘さん(だと思います)が
大日堂(宝物殿でしょうか)を開扉してくださいました。
さっそく、堂内にあがらせていただき、
これまた驚きました。明らかに平安時代の仏像です。
しかも奈良の彫像と同じ系統に属しながら、
出雲独自の様式もあわせもっており、
その迫力たるやすごいものでした。
こんな素晴らしい仏様を拝観できるとは、
こういったうれしいアクシデントがあるので、
どうしても自由行動の日ははずせません。
御礼を申し上げて、仏谷寺をあとにし、
門前の醤油屋さんで、修士の拝原さんのたっての希望により
「醤油アイス」!?なるものを皆でいただきました。
みたらしのような、カラメルのような……なんとも不思議な味。
でも基本的には非常においしかったです。
お店のおかみさんもとてもよい方で、
いろいろお話を聴くことができました。
お店の前に、お堂のようなものがあったので、
「地蔵堂かな?」などと思い、「これは何のお堂ですか?」
とお聞きすると、「神輿が入ってます」とのお答え。
おかみさんのお話によれば、このあたりの地区は、
「小路(こうじ)」と呼ばれ、各小路ごとに
一台ずつ神輿が保管されているそうです。
美保神社へ練り歩くのかと思いお聞きすると、
これは基本的に小路ごとで祭りは完結するそうです。
また、「なおらい(直会・納礼)」も今もって行われているとのことで、
歴史的なものが今に至るまであるんだということに
感動いたしました。
帰りに、石畳を歩いていると、
この地区の歴史館のようなものが。
広く一般に開放されており、美保関の歴史が
過去から現在に至るまで、
地域の方々の眼差しで紹介されております。
一見の価値ありです。
昨今、博物館がさまざまな側面で存亡の危機にありますが、
こうした民間の小さくても深い内容をもつ施設が
設立され、守られていることに、
日本における博物館のひとつの可能性があるようにも思いました。
思いのほか興味深いことに沢山出会ったので、
昼頃まで時間を過ごしてしまいました。
そこから、米子を目指して車で出発。
途中、マクドナルドで昼食をとりました。
「これ!」という食事に出会えそうもない場合には、
マクドナルドに限ります。
全国どこに行っても、味が変わりませんので。
とはいえ、ついつい、冒険心が湧き出て、
危険そうなものに挑戦して、失敗することが多いのです。
学習できていないですね。
やがて、鳥取県の名和へ。
ここは工藤ワールドです。
後醍醐の蜂起を応援した最大の立役者である
土豪名和氏の本拠地です。
名和氏に関しては謎が多いのですが、少しでも
その雰囲気を感じることができればと思いつつ、
まずは名和神社へ。
この神社は、後世になってから建てられたものですが、
神社の入り口左右に、石灯籠が。
そこには「慶応四戊辰年二月廿三日」の日付が刻印され、
西園寺公望の名が。
戊辰戦争の年。
王政復古をかけたこの戦いに、
公家方は後醍醐の倒幕の姿を重ね合わせたのでしょうか。
歴史の記憶はしばしば、さまざまな解釈でもって
蘇り、現実世界に多大な影響を与えていくのですね。
そこから「三人五輪」と呼ばれる名和長年とその息子たちを
祀った一石五輪塔のある場所へ。
一度は見落としてしまい、農道へ迷いこんでしまいました……
わたしが運転すると、往々にしてこういうことになります。
いつも一緒に行っておられる皆さんは
よくご存知だと思いますが、ご迷惑をおかけしますね。
一周して、ようやく「三人五輪」へ到着。
ちょうど
、少年自然の家の野外活動のようなことが行われており、
小学生たちが炎天のなか、フィールドワークを。
なんとなく微笑ましく眺めました。
そして、いよいよ一石五輪の前に。
かなり大きな五輪塔です。潮風にあたるせいか、
銘文は判読不能ですが、一日前まで出雲を
あれだけまわってほとんど見なかった一石五輪が
ここにきて大変立派なものが聳え立っているのです。
心が揺さぶられました。
しばらく、名和氏の亡魂に思いを馳せ、
再び車に乗り、赤松氏の館跡と伝承される地に、
さらに名和氏一党の菩提所である長綱寺(ちょうこうじ)へ。
名和一族の墓があるということで、
裏山に登りました。
そこで目にしたものは、おびただしい一石五輪の石造物群でした。
すさまじささえ感じずにおれませんでした。
さっと見ただけですが、おそらくほとんどの一石五輪は
三人五輪と同様で、風化して銘文は判読不可能であったと思います。
旅をしていて、石造物を見れないととても残念な気持ちになるのですが、
その前の2日分の石造物への期待を上回る
迫力の様相でした。
気がつけば午後3時を過ぎています。
米子の駅まで、ひたすら車で駆けました。
昨今の燃料高ですので、できるだけ安いスタンドをと
探しましたがなかなか見つかりません。
もう、時間もないし、米子の駅も目前なので、ということで
価格表示もないお店に入りました。
有人だし、かなり高いだろうと思いましたら、
意外や意外、道すがら見てきたどの店よりも安かったのです。
最後の最後に、ささやかな勝利をえたように思いました。
米子駅で、「やくも」に乗り、
松江から来た山本さん、松金さん、吉田さん、橋本さんの
4方と合流。
京都への帰路に着きました。
今回の旅、ありあまるほどの発見をいただきました。
コーディネーターの山本さん、工藤さん、
さまざまなお世話をしてくださった松金さんに感謝です。
さて、現実世界に戻りまして、後期授業の準備、
論文の〆切……さまざまあります。
でも、今回の旅行で相当リフレッシュしましたので、
頑張れると思います(たぶん)



























